過去と未来の交差する風景
地下鉄有楽町線、大江戸線月島駅から徒歩約7分ほどの場所に位置する佃小橋。
昭和の風景を色濃く残す佃、都心回帰の象徴大川端リバーシティ21を有する石川島と言う、過去と未来が交差する東京都市夜景を写して来ました。
佃川支川夜景
近くの銭湯からの湯けむりの香りが鼻腔をくすぐり、船溜まりの船がゆらゆらと波に揺られ、個人商店の前では地元のお年寄りが井戸端会議を開く、そんな長閑な空間が広がる一方で、視線を上へと向ければ、どの方向を向いても目に入る無機質で人の気配を感じさせない超高層建築。どちらが正解不正解と言う事は無いのでしょうが、全く真逆の相反する生活様式が隣り合う不思議な空間です。
住吉神社
住吉神社
佃島は天正18年(1590年)に徳川家康の命を受けた摂津国佃村(大阪市西淀川区佃)の漁民が移り住んだことから始まり、その際に同じく佃にあった住吉神社(現田蓑神社)の分霊され創建された神社が住吉神社(佃島)で、隅田川の河口江戸の入口に位置した事から、海上安全、渡航安全の守護神として信仰を集めました。
佃川支川には住吉神社例大祭で建てられる大幟の柱と抱木が埋められ、3年に1度の例大祭の度に掘り起こされ佃島に6本の大幟が建ち並ぶ姿を見る事が出来ます。
佃島
Google Earth より引用
範囲は大まかなもので実際の佃島の範囲を表したものではありません
佃島
本来の佃島は非常に小さく石川島、月島ともに佃川によって隔てられていましたが埋め立てに伴い今では地続きになっています。月島及び新佃島は明治時代に埋め立てられて出来た土地なので、江戸時代には隅田川の河口に佃島と石川島がポツンと浮かんでいました。余談ながら佃川「支川」と言うからには本流の佃川がありそうですが、高度経済成長期に埋め立てられ、残った部分が佃川支川及び佃堀として残り、佃川自体は東京都道473号新富晴海線(佃大橋通り)に転用され姿を消しています。
住所
最寄り駅・バス停
東京メトロ有楽町線・都営地下鉄大江戸線 月島駅より徒歩約7分 東京メトロHP https://www.tokyometro.jp/ |
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