2021
25
Mar

都市夜景, 夜景・夕景, 神奈川県

高島町付近から横浜みなとみらい夜景を撮る

壁の向こうは未来都市

横浜市営地下鉄高島町駅付近からJR線桜木町駅付近まで1㎞以上に渡って続く旧東横線高架、JR根岸線、首都高速横羽線と言う3重の壁。

手前を通る道路はかつては路面電車も走っていたと言う国道16号線。国道の幅広いスペースの向こうに無機質な壁が続き、壁の向こう側は眩く煌めく高層ビル群と言うのは何だかサイバーパンクな感じがします。そんな壁越しに横浜みなとみらい21の都市夜景を写して来ました。

横浜版ベルリンの壁

何故、国道1号線と16号線が分岐する高島町交差点から桜木町駅前に位置する紅葉坂まで約1㎞に渡りロックシェッドの様な新旧市街地を分断する壁が続いているのかと言えば、3つほど理由があり

1つ目は張り出した高架部分と壁の奥の部分では作られた年代が違う為。どういう事かと言うと壁の奥(根岸線が走る部分)は元々は大正7年(1915年)に横浜~桜木町駅間が単線高架化された際のもので、その後海側に線路が増築され3本の線路が通る形になり、そのうち1本を東急線に払い下げ、暫くの間は根岸線が複線で東横線が単線と言う状態でしたが、昭和31年(1956年)に歩道上に迫り出す形で東横線の線路が増やされ複線化した為に今現在のような姿になっています。

2つ目は線路の向こう側は造船所だった為で、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、みなとみらい地区は元々は国鉄高島駅と三菱重工横浜船渠の跡地を再開発して誕生した地区で、高架線の向こう側は造船所なので、造船所の関係者以外は往来する必要が無く、こまめに道路を通さずとも途中に造船所正門へと続き今も残る歩道があれば十分だったのです。

3つ目は壁の向こう造船所との間に貨物線が通っている為で、地下から高架へ登る貨物線(高島線)が通っているので、高架壁をくり抜いても線路が地上部分と同じレベルになる三菱ドック踏切の位置以外では貨物線に阻まれてしまいます。踏切を通ると判りますが、線路が高島方面はトンネル桜木町方面は高架へと続いていて、ここ以外は踏切を設ける事は無理そうです。

と言う訳で、MM21再開発が進む現在でもベルリンの壁の如く旧市街地と新市街地を分断する壁が連なっているのです。壁は10年程前までは壁面アートとして1㎞に渡り様々な絵画が書かれていたのですが、今ではグレーのペイントで塗りつぶされてしまっています。壁面アートが今も残っていたなら、ベルリンの壁のような雰囲気を更に増していたのではないでしょうか?

 

三菱ドック踏切

かつて造船所があった頃は、みなとみらい側に三菱重工横浜造船所の正門があり、造船所で働く多くの人が行き来した踏切も今では地元住民やMM21地区で働く人のうち一部が利用するだけとなってしまいました。

写真的には高架の間を通る踏切と貨物列車と言うのはフォトジェニックな気がしますがどうでしょうか?

 

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA