総武線隅田川橋梁の夜景を撮る
総武線隅田川橋梁は隅田川に架けられた鉄道橋で、総武線の両国駅と浅草橋駅の間に位置します。橋の左岸、墨田区側からは右岸台東区側の街並みと共に隅田川を渡るJR線を眺めることができます。
隅田川橋梁について
隅田川橋梁は総武線の当時の終着駅であった両国駅から御茶ノ水駅へと延長するために1932年(昭和7年)に架けられました。この橋は1923年(大正12年)におきた関東大震災によって被災した橋を架け直した震災復興橋ではありませんが、隅田川に架かる復興橋などを手掛けた田中豊氏が設計を担当していることから、下流に架かる両国橋などとと共に都市のシンボルとなるような凝ったデザインになっています。
田中豊氏は日本の近代橋梁において著名な技術者であり、その名前は社団法人土木学会における優れた橋梁に送られる田中賞の名前の由来になっています。
余談ながら、鉄道橋は多くの人に名前を把握してもらう必要のある人道橋と異なり、限られた人が把握していれば良いので、○○線の○○橋のように同じ名前の橋がいくつもあることがあります。隅田川橋梁も、それぞれ離れた場所に有りながら下流からJR総武線、東武線、JR常磐線、京成線と同一名称の橋が架かります。特にJR総武線と東武線は同じ時期に同じ設計者が設計しているため、混同されやすくなっています。
夜景風景
恐らく日本で一番有名と言っても差し支えの無い(ほとんど毎日上がってる浦安のアレを除けば)であろう隅田川花火大会。今でこそ打ち上げ場所は東武線浅草駅近くと、さらに上流の桜橋近くの2か所ですが、元々は両国付近の茶屋が享保の大飢饉の慰霊のための余興として打ち上げ始めたのを起源としています。それ以降は隅田川の川開きにあわせ旧暦の5月28日に打ち上げるのが恒例行事となりました。そのため1964年(昭和39年)までは両国橋の上流で打ち上げられていました。
川開き後の納涼期間は岸辺には屋台が並び、水面には舟遊びの屋形船が浮かび、賑わいを見せていたそうです。流石に令和の時代には屋台や見世物小屋はありませんが、現在でも隅田川と言えば屋形船が名物のひとつで、ここから少し下流の神田川の合流地点には屋形船が所狭しと並び、夜には引っ切り無しに隅田川を行き交う姿を見ることができます。
隅田川は一時期はテントハウスが建ち並び、特に左岸側は頭上を首都高の高架に覆われ薄暗いなど、余り良いイメージのある場所ではありませんでしたが、今ではすっかり綺麗に整備され、親水テラスも灯りが完備されているので夜でもランナーやジョガーが引っ切り無しに通る親しみやすい場所になっているので、夏の夜に散策するのにいかがでしょうか。
住所 |
東京都台東区柳橋付近 |
最寄り駅・バス停 |
JR東日本総武線 両国駅より徒歩約5分 |
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