2021
10
Jun

東京都多摩, 乗り物, 乗り物夜景, 車両基地夜景

西武線保谷電留線の夜景を撮る

保谷(ほうや)電留線

保谷電留線

 

西武池袋線保谷(ほうや)駅に隣接する保谷電留線。終電後の保谷駅電留線に10本以上の電車がズラッと並ぶ迫力ある景色を線路を横切る踏切から写して来ました。

 

保谷車両管理所(車両基地)

 

大正11年(1922年)より平成12年(2000年)まで存在していた車両基地で、池袋線(前身の武蔵野鉄道)の池袋から所沢駅間の電化と共に開設し、車両の検査、修繕や建造を担ってきましたが、車両数の増大や長編成化に伴い手狭になったため、車両管理業務を武蔵丘車両管理所へ移転し、以降は車両の配置のない電留線(留置線)として使用されています。
また敷地内には、過去に使用されていた蒸気機関車と電気機関車が1両ずつ静態保存されています。

 

電留線夜景風景

西武池袋線を支える電車たち

照明に照らされる西武線の電車たち

西武と言えば黄色の電車

有楽町線直通用6000系

終電後の保谷駅

 

保谷駅と電留線を横切る踏切からは手が届きそうな至近距離に電車が並び、更に狭い敷地に電車を収める必要からか段々にカーブを描いて停まる姿も他の車両基地とは一風変わっていて素敵です。
残念ながら特急用電車のレッドアロー号や秩父鉄道直通用の4000系などは、(この当時はLaview号は未登場)留置されない様で、見慣れた通勤電車だけでしたが、流石は大手私鉄とでも言うのでしょうか?通勤電車だけで4種類も停まっていました。

 

 

保谷(ほうや)

 

関東に住んでいると読み間違える事は無さそうですが、知らないと読めない難解地名「ほうや」。決して「ほや」ではありません。

江戸時代初期には周囲の地域に比べ水利がよく、穂が密集する豊かな土地だった事から「ほうや」と呼ばれ、穂屋穂谷と言う漢字が使われていたが、元禄時代(1688から1704年)頃に幕府への提出書類に「保谷」と誤記した事から、以降保谷と言う字が使われるようになり、本来の穂屋や穂谷に代わり公式な地名の漢字として使用されました。
一説には保谷氏が中心となり開拓した地なので保谷と言う説もあるようです。

また苗字としての保谷姓ですが、保谷村が名前の由来とされています。そのため、全国の保谷姓のうち大多数が旧保谷市(現西東京市)に集中しています。

 
余談ながら光学機器メーカーで、一時期PENTAXのブランド名を所有していたHOYAの読みは「ほーや」ですが、社名は創業地でる保谷市(現西東京市)に由来しています。

 

住所

 

東京都西東京市下保谷5-14

 

最寄り駅・バス停

 

西武池袋線 保谷駅より徒歩約3分
西武鉄道HP https://www.seiburailway.jp/

 

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