竜閑さくら橋
東京都中央区に位置し日本橋川に架かる竜閑(りゅうかん)さくら橋。2018年に近隣の大手町プレイス再開発の一環として誕生した橋は、東京の中心部にありながら、と言うよりも東京中心部にあるのでわざわざ橋を渡る必要も無く最寄り駅へそれぞれアクセス出来るので、立派な歩道橋であり大手町プレイスのペデストリアンデッキと繋がっていながらも今一つ存在感もなく渡る人も少ない竜閑さくら橋から東京駅方面の壁の様に連なるビル群の夜景風景を写して来ました。
夜景風景
JR線の線路に沿って壁の様に建ち並ぶ高層ビル群の灯と、高架線を駆け上がる中央線の軌跡が美しい夜景スポットでした。
撮影中もクレーンが忙しなく動き回り、再開発の進む日本ビルヂング跡地には31階建てのオフィスビルとホテルが誕生するそうなので、完成するとビル群の灯が一層煌びやかなものになりそうで楽しみです。
竜閑川
「竜閑(りゅうかん)」と言う中々に読みにくい漢字と「さくら」と言う平仮名の組み合わせがミスマッチ?な竜閑さくら橋ですが、竜閑と言う文字はどこから来たのでしょうか?
かつて日本橋川から墨田川へと流れていた人工河川である竜閑川から来ていています。竜閑川は元禄4年(1691年)に防火・下水用途として掘られ当時は神田堀と称されていました。幕末の安政4年(1857年)に一度埋められるが、明治16年(1883年)に再度下水の排出先として掘割され、第二次世界大戦後の昭和23年(1948年)に瓦礫処理のため埋め立てられ昭和25年(1950年)には廃河川になり河川としての役目を終えました。
ではなぜ神田堀は竜閑川と呼ばれるようになったのでしょうか?それは再度掘割された神田堀に橋が架けられた際に、橋の近くに井上竜閑の屋敷があった事から竜閑橋と名付けられ、神田堀も竜閑川と呼ばれるようになったそうです。
因みに井上竜閑さんは江戸時代より前、慶長時代の駿河の人で、内神田周辺を開拓したそうで、開拓された一帯は明治時代に地名が変わり内神田になる前は竜閑町と言う地名だったそうです。町を切り開いた人の屋敷があった場所に架かる橋なので竜閑橋、そしてそれにあやかり竜閑川と名前を変え、更には無くなった川の地名を取り竜閑さくら橋と名付けられるると言う少しややこしい橋の名前の由来ですね。
姿かたちを変えつつも慶長時代(1600年頃)の人の名前が400年以上も受け継がれるってロマン溢れる話です。
余談ながら、竜閑橋は明治時代に造られた日本最初のコンクリートトラス橋で、その橋は今も外堀通り沿いに保存されています。
住所
東京都中央区日本橋本石町4-1
最寄り駅・バス停
東京メトロ各線 大手町駅・三越前駅より徒歩約5分
東京メトロHP https://www.tokyometro.jp/ |
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