愛宕神社
東京都港区に位置し、都区内最高峰の愛宕山山頂にある愛宕神社。
愛宕信仰に基づく火防の神を祀り、出世の石段とも呼ばれる86段の急な石段の参道が有名な愛宕神社の夜景風景を写して来ました。
愛宕神社
京都府京都市右京区の愛宕神社を総社とし、主祭神として火産霊命(ほむすびのみこと)を祀り、火防鎮護の利益があるとされています。
慶長8年(1603年)に徳川家康の命により江戸防火の神様として祀られた事を始まりとしています。江戸の大火により全焼するも明治10年に再建され、その後も大正12年9月1日の関東大震災、次いで昭和20年5月24日の東京大空襲により焼失しました。現在の本殿、幣殿、拝殿は昭和33年に再建されたものです。 また愛宕神社の建つ愛宕山は東京区内の自然の山としては最高峰の25.7mを誇り、江戸時代には東京湾から果ては房総半島まで見渡せる景勝地として賑わいました。
出世の石段の逸話から出世祈願の地としても有名です。
出世の石段
正面参道の石段は傾斜角にして約50°1と言う急な石段で「出世の石段」と呼ばれています。これは曲垣平九郎(まがきへいくろう)の故事に因んだもので、江戸三代将軍家光公が増上寺への参拝の帰りしな、愛宕神社の下を通りかかった時に愛宕山に咲く梅の花を目にし、家臣に馬に乗り取って来るように命じました。しかし急な石段に誰もが物怖じし馬を進めようとしないなか、ひとり四国・丸亀藩の曲垣平九郎が馬に跨ったまま急な石段を登り、無事に梅を家光公へ献上しました。家光公は曲垣平九郎を日本一の馬術の名手と称え、その名声が日本中に知れ渡った事から出世の石段と呼ばれるようになりました。
余談ながら名声は轟いたそうですが出世は出来ず、主君生駒氏が御家騒動により流刑となったあと、福井藩に仕えるも福井藩も分裂した事から、最終的には浪人となったと言われています。
夜景風景
急な石段を登った先、一の鳥居の向こうに見える丹塗りの神門の妖艶さ、そして下界の音が途絶えた静謐な空間はまさに人の世とは隔絶した神域。
昼間とは違った姿を魅せる愛宕神社、足元にお気をつけて是非一度訪れてみてください。
住所
東京都港区愛宕1-5-3 参道正面男坂の石段は勾配もきつく石の形も不揃いで表面が凸凹しているので、己を過信せずしっかりと手すりを握るか、緩やかな石段の女坂へ迂回するなどして、転がり落ちないようご注意ください。頂上付近はおよそビル5階の高さがあります。
最寄り駅・バス停
東京メトロ日比谷線 虎ノ門ヒルズ駅より徒歩約5分 東京メトロHP https://www.tokyometro.jp/ |
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