横須賀田浦倉庫群の夜景を撮る
神奈川県南東部、三浦半島の北部に位置する横須賀市。東側を東京湾、西側を相模湾に接する横須賀市は東京湾への入り口にあたることから古くから国防の要所とされ、横須賀港周辺には、戦前には旧日本海軍の横須賀鎮守府が置かれ、それに付随する様に海軍工廠や飛行場が設けられ軍都として栄えました。戦後は利用者がアメリカ海軍や海上自衛隊に変わったものの、国防上の要であることに変わりなく、日米の軍艦が停泊する姿を目にすることができます。また旧海軍時代から使われ続ける施設や遺跡などを数多く見ることができます。そんな横須賀港ですが、大きく4つの港から成り立っていて、北側三浦半島の上部方向から深浦港、長浦港、本港、新港となっています。そのうち長浦港と本港は旧軍時代から軍港として使われ、今でも本港は米軍と海上自衛隊が、長浦港は海上自衛隊が船舶の停泊地として使用しています。
田浦倉庫群があるのは長浦港に隣接する陸上部分で、戦前には旧海軍工廠があり兵器の製造や武器弾薬の備蓄がおこなわれていました。戦後は大規模な倉庫群を活かし民間会社が貿易拠点として利用しています。これらの倉庫は旧海軍時代のものを、そのまま利用しているため戦前の横須賀港の風景を残す貴重な建物群でしたが、建築から1世紀近く経ち老朽化著しいため、徐々に解体され、近代的な建物に建て替わりつつあります。
夜景風景
田浦には鉄路の跡を随所に見ることができますが、旧海軍時代の名残であると共に、これらの鉄路は長浦地区が米軍から返還された後も、米軍の燃料武器弾薬の貯蔵庫である吾妻島から首都圏の米軍基地への航空燃料輸送に使われていたました。そのため線路の所有者は米国となっており、横須賀市へ返還される2015年以前は米国政府所有であることを示す看板が線路端の随所に立っていました。専用線は昭和後期に廃止になった後、一時的に復活したものの、再度廃止され、その後は返還されるまで四半世紀近く、使われることの無い鉄路が草に埋もれながらも維持されていました。
横須賀港に網の目のように張り巡らされていた鉄路を終戦直後に米陸軍が作成した地図から知ることができます。地図は下記のリンク先のテキサス州大学のアーカイブから見ることができます。
https://maps.lib.utexas.edu/maps/ams/japan_city_plans/index_tokyo.html
余談ながら現在は吾妻島に陸揚げされた燃料のうち、航空燃料は鶴見貯油施設にタンカーで移送され保管されています。
撮影時期は2014~16年にかけてですが、今現在も残っている倉庫もあれば新しく建て替えられたり更地になってしまったものもあるようです。改めて写真を見返して、倉庫を囲うフェンス上部の有刺鉄線が内向き、いわゆる中から外へ脱出し難い形で張られているのが気になります。万が一にも鉄路が復活した際に車両と接触を防ぐ為だったのか…
住所 |
神奈川県横須賀市田浦港町 |
最寄り駅・バス停 |
JR横須賀線 田浦駅より徒歩約5分 |
この記事へのコメントはありません。